« 供託金(きょうたくきん)とは、法令の規定により法務局 | メイン | 廃線跡 »

分子生物学という名称は1938年ウィーバー

分子生物学という名称は1938年ウィーバー(Warren Weaver)により提唱された。これは当時、量子力学の確立やX線回折の利用等により物質の分子構造が明らかになりつつあったことから、まだ謎に満ちていた生命現象(中でも遺伝現象)をも物質の言葉で記述したいという希望の表明であった。当時、遺伝の染色体説はすでに確立し、遺伝学はショウジョウバエなどを用いて目覚ましく進歩していたが、生体高分子として知られていたタンパク質と核酸のいずれが遺伝を担っているのかも、遺伝子が具体的に何を決めるのかも不明だった。また生物と思われていたウイルスが結晶化することが明らかになり、生物と無生物の境界はゆらぎつつあった。ドイツを中心とする当時の物理学者たち(アメリカに亡命した人も多い)もこの問題に深い関心をもち、特にマックス・デルブリュックは物理学から遺伝学に転向した。また物理学者から見た生命観を述べたシュレーディンガーの名著「生命とは何か」(1944年)も大きな影響を与えた。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

デルブリュックは研究対象をショウジョウバエからバクテリオファージ(細菌に寄生するウイルス)に転換して「ファージグループ」と呼ばれる学派を主宰し、これが分子生物学の創成に大きく寄与した。1940年、ジョージ・ビードルとエドワード・テータム(やはりショウジョウバエからの転向組である)はアカパンカビを用いて、遺伝子とタンパク質の間に一対一の関係があることを示した(一遺伝子一酵素説)。このように単純なモデル生物から始める方法は分子生物学で標準的な研究法となる。1928年、フレデリック・グリフィスは肺炎球菌のR型菌にS型の死菌を与えるだけでS型菌に形質転換できることを示し(グリフィスの実験)、1943年、オズワルド・アベリーらはこの「形質転換の原理」がデオキシリボ核酸(DNA)によることを発見した。また戦後にかけて、ファージに関しても同様にDNAが遺伝物質であることが示された。

そして戦後、イギリスとアメリカのグループがこのDNA分子の構造を明らかにしようと競争した末、1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重らせん構造を発見した。これは相補性により(後に証明された半保存的複製を通じて)遺伝をも説明する画期的発見であり、これにより分子生物学が本格的に始まった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.zfxynd.net/blog/mt-tb.cgi/636

About

2009年06月22日 07:38に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「供託金(きょうたくきん)とは、法令の規定により法務局」です。

次の投稿は「 廃線跡」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35